こんにちは!
マレーシアからMoppeppe3です!

 

日本は季節がどんどん
変わっていっているんでしょうね。

こんな感じで秋真っ只中でしょうか?

japan(autumn in Aso)-Image by Kohji Asakawa from Pixabay
japan-Image by Kohji Asakawa from Pixabay


日本の秋を最後に経験したのは、
201811月、私の母がちょっとした
医療行為を受けるために
数日入院するということで
一時帰国したときでした。

 

イチョウの葉が黄色に、楓の葉が赤に。

私の故郷熊本の町中、どこに行っても、
街路樹の美しさに見とれて
写真を撮りまくりました。

 

カナダやアメリカの秋の景色を
見たこともありますが、
日本の秋の景色が最高だと思っています。

 

マレーシアは知っての通り、常夏。



秋はありません。


もちろん、春も冬もありません。


年中夏。

常夏のマレーシア、コタキナバルの空
 
常夏のマレーシア、コタキナバルの青い空と緑



一応季節として、雨季と乾季があります。

でも、最近はあまりはっきりとしていない
感じがします。


以前は、
9月くらいから年明けて1月末か
2月初旬の春節直前くらいまでと
言われていましたが、
今は年中雨が降っている感じがします。



今も雷がゴロゴロ。


落雷は怖いですよ。


家中の電化製品が落雷で壊れることも
珍しくありません。


雷が光ったら電化製品はコンセントから抜きます。


特にPCやインターネットのモデム、
Wifiのルーターがやられたら大変!

 




マレーシアでは現在、
私たちも屋根のある家に住んでいます。


でも昔の人たちは、日本でもそうですが、
マレーシアでも簡素な茅葺の家に
住んでいたんですよね。


サバ州原住民の伝統的家屋
サバ州原住民の伝統的家屋


こういう家の中で雨風、
そして雷を凌いでいたんですね。

 

 

サバ州のコタキナバルに、
原住民たちの伝統的な生活様式や
文化を見せてくれるところがあります。

 


行ってきました!



 


Mari Mari Cultural Vilage


「マリマリ カルチュラルビレッジ」





“Mari”はマレー語で「来る」という動詞。

“mari mari“というと
「おいでおいで!」となります。



覚えやすいでしょ?

 

サバ州にはわかっているだけで30数種の
民族が存在します。

 

大きなシェアを占めているのが、


1.カダザン・ドスン

2.ムルット

3.バジャウ

 

と呼ばれる人たち。

 


一番シェアの多いカダザン・ドスン。
厳密には「カダザン」と「ドスン」と
2つの民族を指します。

カダザンドスンの民族衣装を着た女性
タパイというお酒を準備する、カダザンドスンの民族衣装を着た女性



この民族は、主な産業は農業で、
サバ州産のお米はこの人たちが
作っていると言ってもいいでしょう。

黒地に金色や銀色の縁取りの
カダザン・ドスンの民族衣装は
マレーシアではとても人気です。

その民族衣装を着て、
お祭りで「スマザウ」というダンスが
よく披露されます。

 



次に多いのが狩猟民族である、
ムルットと呼ばれる人たち。


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ムルット族の女性と男性



元々、敵とみなすと、文字通りの
ヘッドハンティングを行っていた民族。

斬首した頭を家に飾って
力を誇示していたと言われています。


もちろん、今はそんなことしませんよ。


でも、実際にこの民族博物館にいた
ムルットの人たちの体は、
本当に鍛え上げられていた感じでした。

 



うちの夫のぷよぷよお腹と
見比べてしまいました・・・・・(泣)

 



その次に多いのが、バジャウと呼ばれる人たち。

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クエジャラを揚げるバジャウ族の女性


この人たちも主に農業をしていますが、
漁業にも携わっています。

 

サバ州の西と東の海岸沿いの町に住んでいて、
ダイビングがお手の物なのだそうです。

 


現実として、マレーシアの人口はおよそ3200万人。

さらにもっと多くの民族が存在しますが、
今でも、ジャングルの中や

人がなかなか踏み込めないような所に住んで、
自分たちの伝統生活や文化を守り続けている
人たちも実際存在するのだそうです。

 


中央政府も、出生、住民登録などを推進し、
子供たちの教育や生活の向上の補助や援助を
図ろうとしていますが、
それらを拒否する人たちも実際存在します。


サバ州の様々な民族
 
サバ州の様々な民族 



全てを近代的にしてしまうのが良いのか、
自分たちの文化を守るのが良いのか、
判断は難しいですね。


ただ、私個人としては、
そっとしておくのが良いのではないかと。

 

幸せの形はひとそれぞれ違うのでは
ないでしょうかね。