こんにちは!私はMoppeppe3(もっぺっぺさん)。主婦と同時に、時々翻訳の仕事をしながらマレーシアに住んでいる50代半ば過ぎのおばさん、Auntyです。

途中夫の転勤で8年ほど他国に住むこともありましたが、私が日本を出て22年、マレーシアには述べ14年住んでいます。

マレーシアも他の国同様、現在、大変な時期を迎えています。私が住んでいるネグリスンビラン州は、一応ピークは過ぎ、新規感染者数もピークの頃の1/4くらい(8月26日現在)まで減ってきましたが、国全体ではまだ高止まりという感じです。行動制限も若干は緩和されてきましたが、州境を越えることはまだ許されず、いまだに検問所が至る所に設置されています。

マレーシアの独立記念日

そういう状況でも、マレーシアの独立記念日≪Hari Merdika/Independence Day≫が間もなく、8月31日にやってきます。いつもなら、あらゆるところに赤と白の縞のマレーシアの国旗が掲げられ、旗を立てて走っている車もたくさんあって、町中カラフルでしたが、今年はさっぱり。

それでも、家では旗を掲げましたよ。青い空に映えるでしょ?

第二次世界大戦後に始まった「マレーシアの」歴史

現在のマレーシアは、マレー半島(タイとシンガポールの間の部分)と東マレーシアと呼ばれる、ボルネオ島の一部のサバ州、サラワク州が含まれますが、この独立したマレーシアが現れたときは、まだマレー半島の部分だけだったんです。

どこから独立したって?

はい、1957年8月31日、イギリスの占領地だったところから独立しました。後ほど詳しく述べますが、この頃はまだ名前もマレーシアではなく、「マラヤ」という、イギリスから与えられた名前でした。

マレーシアって、歴史的にもいろんな国から侵略されてるんですよね。ポルトガル、オランダやイギリス、そして短期間ではありますが、日本にも。その後またイギリスに再度。今のように、国民が選挙でリーダーを選ぶしくみを持つようになってからの歴史はまだ浅く、本当に独立してからなのです。他国に占領されていた頃はまだマレーシアという名前ではありませんでしたし、この地域は、サルタンと呼ばれる国王に治められてはいたものの、たくさんの原住民がそれぞれの自治体を作っているような期間が長く続いていましたので、この辺りは国として機能しているところはほとんど存在していなかったのも、いろんな国に占領されやすかった原因なのかもしれません。昔から、リーダーがしっかり国を治めていた日本に住んでいる私たちからすると、想像するのは難しいですよね。

例えば、ボルネオ島の沿岸地域で現在のマレーシアの部分は、もともとブルネイだったりもしています。ところが、イギリスの海賊(パイレーツ)に乗っ取られたり、「東インド会社」に土地を奪われたりして、この地域は姿形がよく変わっていました。強いリーダーがいなかったんですね。

第二次世界大戦が終わると、この国は「マラヤ」(Malaya)とイギリスから名づけられたのですが、実際、この「マラヤ」の国民のイギリスに対するネガティブな感情もあってか、実際は人々はこの「マラヤ」という名前を受け入れず、≪Tanah Melayu/Malay Land≫(マレーの土地)と呼んでいたそうです。二度とヨーロッパに占領されたくないという怒りもあったのでしょう。(夫談)

マレー半島とボルネオ島の一部から成る今のマレーシアになるのは、独立から6年後です。その6年の間、第二次世界大戦後から勢力を拡大しようとしていたインドネシアの侵略から守るために、イギリスの働きかけによって、ボルネオ島の一部であるサバ州、サラワク州が加わって、1963年9月にそこで初めて、マレーシアと呼ばれる国が成立します。このときのマレーシアは、のちに国として独立するシンガポールも含まれています。ブルネイも加わるようにイギリスから声がかかったのですが、ブルネイは、その豊富な資源があるために、自分たちのみで国を作り上げることを選択し、加わりませんでした。

マレーシアから独立したシンガポール

少しだけ、シンガポールについて述べますね。

シンガポールの最初のリーダー、リー・クアンユーは、華人もマレーもインディアンもそして少数の原住民も全て同じ権利を持って国を作って、近代的に発展する国を作ることを提案しました。しかし、マレーシアの中央政府は、後からこの地域にやってきた移民がリーダーになる可能性を与えてしまうと、自分たちの国が破滅してしまうのではないかという恐れを抱きました。そのため、お互いのポリシーを相容れることができず、シンガポールはマレーシアから離れざるを得なくなってしまいました。1969年8月のことでした。

シンガポールが独立する直前は、マレーシア中央政府(特にマレー人を優遇する)に対する不満が高まり、暴動が発生し、身の危険を感じた多くのマレー人が、マレー半島に逃げ移ったというケースも数多くあったんです。

ご存じの通り、シンガポールは華人が大多数で、他に少数のインディアン、マレー人たちがいて、公用語は英語なのですが、実は、国歌に至ってはマレー語なんです。国歌が公用語ではないなんて珍しいですね。マレー語以外で、北京語、英語、タミール語でも歌詞があるようですが、正式に認められているのはマレー語の歌詞のみだそうです。

実は夫に「『マレーシアがシンガポールと一緒に近代国家を建設してくれたらよかったのに』と思ったことがない?」と、ある種タブーな質問をしてみたんです。

夫の回答は、

「近代国家だったら良かったのに、と思わないこともないけど、自分たちは外から来た人間。その外から来た人たちがいきなり自分たちのポリシーや文化をそこにいる人たちにいきなり押し付けるのはどうかな?結果として、マレーシアは、華人たちがシンガポールで自分たちの国を作れるように土地を与えたんだと思う。シンガポールも自分たち(マレーシア)のものにして、華人たちを追い出すわけにはいかないからね。」

そういう見方もあったんですね。マレーシアがシンガポールを追い出した、という見方もあるようですが、ちょっと角度を変えてみると、そんな考え方もあるんですね。そこがまた議論されているわけですけど。

マレーシアの現在

なかなかいない「マレーシア人」

マレーシアには、マレー人約60%、華人約20%、インディアン約7%、他、原住民がいます。これからも、マレー人が増え続け、華人、インディアンなど、優遇措置が受けられない人種の数は減り、比率が小さくなる一方だと言われます。残念なことに、常にどの人種であるかが話題に上り、扱いも違ってしまうのが現状です。子供の出生証明書でも、父親、母親それぞれの人種が明記されています。

マレー人、もしくはムスリム、そして、いわゆる原住民と言われる人たちは、ブミプトラと呼ばれ、課税率、国立大学の入学枠、企業の採用枠、奨学金受給の権利、不動産取得の条件、ビジネスのサポートなどで優遇措置が受けられます。もちろん、それを不服に思う人たちは少なくありません。今はマレー人でも、そのブミプトラ政策は不要と考える人も少しずつですが、増えてきています。税金をしっかり払っているのにその恩恵が受けられない人たちに不満が出るのも当然でしょう。しかし、後から移住してきた人たちが国を変えてしまうのでは、という心配も強かったのかもしれませんが、外からやってきた私にしてみると、なぜすべての国民を「マレーシア人」と一括りにできないのかなとも思ってしまいます。

何か見たことあるような、マレーシアの国旗

ところで、マレーシアの国旗、見たことありますか?

何だかどこかの国の旗に似たような......

アメリカ合衆国ですね。

しかしながら、アメリカとの関係はなく、似た国旗ができたのは偶然ということのようです。それより、イギリスの植民地支配が長かったため、そのイギリスの国旗から色をとった、イギリスの「東インド会社」の旗のデザインをもらった、ということのようです。

       英国東インド会社              現在のマレーシアの国旗

From Wikimedia Commons, the free media repository (いずれも)

マレーシアの国旗の14本の赤と白の縞は、13の州と政府直轄地のクアラルンプールを表し、左上の青い部分の月と星は国教のイスラムを表しています。また、星のとがった部分の数も赤と白の縞と同じで、象徴となるものも同じです。

今年の独立記念日(Hari Merdeka)は?

いつもであれば、様々なところで花火が打ち上げられたり、独立を祝うイベントが開かれて、小中学校の生徒たちがそこで行進に参加したり、と様々なイベントで盛り上がるのですが、今年はこの通り、混雑を避けるために様々なイベントが中止となっているようです。静かな独立記念日となりそうです。

過去にいくつもの国に占領されたという、悲しい歴史を持つマレーシア。みんなで手に入れた自由で国をここまで進んできました。これからは、更に人種を越えて協力し、お互いを更に理解し、受け入れて、更なる発展を目指して欲しいと感じています。

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私がこのブログで、これまでに経験したことを通して考えたり感じたりしたことを発信したいと思うようになって、やり始めたこと。それは、

角谷リョウ先生の「ニューロ言語プログラミング」

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最後に

これからも、マレーシアでの生活についてを主に書き綴っていくつもりですが、転勤族であった私たち家族がこれまでに住んだ国々の生活・文化や体験談、日本の外の学校事情や言語教育などについてもときどき触れていきたいと思っています。よろしかったらまたお越しください。

今は大変な時期ですね。国内を移動することすらも難しい状況でしょう。この状況を皆さんが乗り切って、晴れて収束したとなったとき、もし、どこかでホッとしたいな~という気持ちを持てるようになった時には、このマレーシア、ぜひお考えになってはいかがでしょう。東京、大阪から直行便で7-8時間ほどです。そのためにも、健康管理、衛生管理、しっかりしてこの状況を乗り越えていきましょう!

Stay safe! Stay healthy!

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