日本を離れて20年以上。
マレーシア在住の私Moppeppe3(もっぺっぺさん)が、
マレーシア・アメリカ合衆国・UAE(アラブ首長国連邦)に住んで経験したこと、
日本に住んでいる皆さんにはあまり知られていないことを面白おかしく、
でも時には真面目にお伝えしていきたいと思います。

coffee mugs-Image by Дарья Яковлева from Pixabay

こんにちは!

マレーシアからMoppeppe3です!

 


私はコーヒーが大好きです。
香りを一日中嗅いでいても幸せなくらいです。

それに一日1~2杯のコーヒーは
健康効果もあると言われています。

最近の研究では、血液をきれいにする
ポリフェノールが多いとか、
高血圧、糖尿病の予防効果もあるとか、
良いことが言われるようになりました。

 

ところで昨日、ネットで購入した
コーヒーの生豆が届きました。


購入先はジョホール州にあるお店。

11月11日に注文したのですが、
6日もかかってようやく到着しました。
Ninja van

お店はいつもと同じところなのですが、
使う運送会社を変えたようです。

その運送会社の名前は"ninja van”。


どういうつもりで、忍者なのか?

かたつむり、いやでんでんむしとか
亀さんの方が合っているのでは?



日本ではあまり知られていないかも
しれませんが、
マレーシアでもコーヒー豆が穫れます。

地元の喫茶店"Kopitiam"(以下コピティアム)では、
マレーシアで穫れたコーヒーを
地元式の焙煎、地元式の入れ方で
入れられたコーヒーが楽しめます。



下はマレーシア一のコーヒーショップ(kopitiam)の

チェーン店の看板ロゴ

malaysia old town coffee sign-Image by Andale_Lucy from Pixabay
Image by Andale_Lucy from Pixabay 
 

 

しかしながら、出てくるコーヒーは真っ黒!

豆は大抵炭火を使って、
炭のようになるまで焼かれたという感じです。
(ごめんなさい)



バター(またはマーガリン)、塩、砂糖を
入れて焙煎するため、真っ黒。

お店でただ「コーヒー」と注文すれば、
ホットブラックコーヒーが
砂糖入りで出されます。


私は無糖のコーヒーを好みますが、
ときどき言い忘れると、
甘いコーヒーが出されて結局飲めず、
夫にあげることになってしまいます。


特に無糖のミルク入りコーヒーは、
コピティアムではあまりありません。


というのも、町のコピティアムでは、
コンデンスミルクが使われるからです。

マレーシアでは牛乳は正直高いです。
コンデンスミルクの方が割安かもしれません。


とにかくこの国の人たちは
甘い飲み物が好きです。
コーヒーも然り。

無糖なら、アメリカ発の有名な
コーヒーショップのようなところだと、
砂糖はオプションにしてくれます。
そんなところでも、砂糖が欲しいというと、
コーヒー一杯につき、
3~4本のスティックシュガーが
渡されます。
マレーシアの人にしてみると、
ものすごい金額ですが。


ところで、甘くないブラックコーヒーを
コピティアムで注文するなら、

“Kopi O 0(Kosong)”
と言います。
“Kopi”はコーヒー

“O(オー)”は、ミルクなし
0は数字のゼロで、砂糖なし。
「コソン」と言います。


 

でも、砂糖なしのミルク入りコーヒー
(カフェラテ)の注文は難しいです。

それを地元のコーヒーショップで頼む人は
滅多にいません。


それでももし、無糖のカフェラテなら
ミルクまたは、飲料用クリーマーを
表す“susu”(スス)を使って、
“Kopi susu kosong”言えるのでしょうけど、
ことはそう簡単にいきません。


 

一度、マレー半島の東海岸、
トレンガヌ州に旅行した時のこと。
無糖のミルクコーヒーを注文するのに、

“Kopi susu kosong”
「ミルク入りコーヒー砂糖なし」と。

しかし、甘いミルク入りコーヒーが
出てきました。

お店の人に注文通りではないと言ったところ、
「いや砂糖は入ってないよ」との回答。


そして
「ミルクって言ったらこの辺りでは
コンデンスミルクが普通だよ。
普段はそれに砂糖を入れてるけど、
砂糖なしってことだから砂糖入れてないよ。」
とのこと。

 

この州の料理はとにかく甘いんですが、
飲み物の糖分の量も凄いんですね。
もう苦笑い!

辛いのが苦手な外国人観光客には

受け入れられやすい料理かもしれませんが、
飲み物は要注意ですね。



 

ところで、マレーシア産のコーヒー豆は
ほとんどが「リベリカ種」です。
日本ではあまりなじみがないと思います。
とにかく世界で出回るコーヒーの
3%以下のシェアだそうです。


Liberica raw beans
リベリカ種の生豆

 

特に、平地が多くてあまり風のない
マレー半島では栽培に適しているそうです。

 



一方、世界で大きなシェアで出回っているのは
日本でもよく飲まれているアラビカ種。

香りがいいと多くの人に好まれています。


でも、なぜ、マレーシアでは
そんなにシェアの低いリベリカ種なのか。


インドネシアやマレーシア付近一帯では
500年ほど前からコーヒーが
栽培されていました。


ところが19世紀になると、
インドネシアとマレーシアでは
病害虫に攻撃されてしまって、
育てていたアラビカ種のコーヒーの木が
ほぼ全滅してしまいました。

インドネシアは今でも
アラビカ種のコーヒーの産地として
君臨しています。
一方、マレーシアの特に西側のマレー半島は
高地がなく、土もまるで赤土の粘土のようで
水はけが悪いため、

高地と水はけのよい土を好むアラビカ種には
マレーシアの低地で高湿度の気候風土に
合わなかったのでしょう。

それ以来、リベリカ種の栽培に
切り替わったのだそうです。

 


以前、毎年日本に一時帰国していた私は、
日本でコーヒー豆をまとめ買いして
こちらに持ってきていたのですが、
この感染症の流行で

マレーシア国境を封鎖してしまったため、
日本に帰れなくなってしまいました。

コーヒーの在庫が切れそうになったころ、
長女がマレーシア産のコーヒーの生豆を
ネット販売しているお店を
見つけてくれました。



そこで初めて「リベリカ種」を知りました。


なるべくマレーシアの生産者を応援しようと
地産地消を日頃から心がけていたので、
マレーシア産とならば買うしかない!と思い、
思いきって注文しました。



焙煎については、
インターネットのサイトをいくつか見つけ、
見よう見まねで試してみました。

成功と失敗・反省を繰り返し、
数か月するとだんだん慣れてきて、
多少の味の違いはまだ出てしまいますが、
ずいぶん焙煎具合も落ち着いてきました。


使うのは、10年近く前に買った
厚手のテファールのフライパンとガラス蓋。

普通のガスコンロを使って
20-25分前後でできるようになりました。


Liberica Roasted
 焙煎したリベリカ豆

 


この豆は深入りがが良いそうです。

色にばらつきが見られますが、

素人ですのでご愛嬌ということで。(笑)


でも、自分で焙煎すると、味も格別です。


義両親や友人にも振舞います。

なかなか喜んでもらえますよ。


若干苦みが強く、鋭さが感じられる味です。
香りは、人によっては
ドリアンやジャックフルーツのような
癖を感じるようですが、
私にはむしろ芳しい感じもします。


カフェインの量が、アラビカ種やもう一つ良く出回る
ルブスタ種に比べると若干少ないそうですよ。


日本にも最近輸出され始めましたが、
まだまだ微量だそうです。

そんな出荷量がわずかな
リベリカ種のコーヒー、
皆さんも味わってみたくありませんか?

 

マレーシアへは、

東京、成田、中部セントレア、関西空港から
直行便がでています。
8時間ほどでトロピカルなクアラルンプールへ。





コーヒーの甘味料としてマレーシアの人にも大人気です!

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最後に

ブログを書き始めて間もなく4か月。
始めてすぐは、
やり方も分からないまま試行錯誤。

でも、
BMTSのニューロ言語プログラミングを
学び始めたら、
書く楽しさを感じることができ、
書くためのモチベーションも
ここまで維持できています。
よろしければ、こちらもご覧ください。

 

 

参考: ウィキペディアCoffea Liberica

 

 

こんにちは!マレーシアからMoppeppe3です!

 

 

 

実は私は車の運転が大っ嫌い。

 

日本にいると、自転車や公共交通機関で

簡単に出かけられますが、

日本以外の国って結構それができないところが

多いんですよね。

それが結構ストレスです。

 

 

それでなぜ嫌いかと言うと、

実は、運転免許を取ってそろそろ1年になるという頃、

わき見運転の車に正面衝突されたんです。

 

こちらも気づいた時点で

ブレーキを踏んだのですが、間に合いませんでした。

 

 

それ以来、自分がどんなに注意していても、

事故に巻き込まれる可能性があるんだという

恐怖心が出てしまい、

ハンドルを握ると怖くなってしまいます。

 

それでも必要に迫られて

何とか頑張って運転してますけどね。

 

 

 

マレーシアでの運転免許について触れますね。

今の段階では、
日本人は日本で国際免許証を取得して

運転するのが普通のようです。

あるいは、新規に取得するのと同じように

教習所で教習を受けて試験を受けるパターンです。

 

私が996月にマレーシアに移り住んだ頃は、 

日本人は、日本の運転免許証を持っていれば、

在マレーシアの在外公館(日本大使館や総領事館)で、

「運転免許証の翻訳証明」を発行してもらい、

日本の免許証原本と共に

Jabatan Pengangkutan JalanJPJ

という、日本の運転免許センターのようなところに

提出して申請すると
簡単にこの国の免許証を

発行してもらえるしくみになっていましたが、

変わってしまったようです。


 

Capture Malaysian Driving  Licence
             マレーシアの運転免許証
        (2021年11月13日現在、Covid-19の特別措置のため、
        期限切れの場合でも2021年末まで 更新なしで使用可能)

 


ただ、マレーシアの運転免許取得は、

日本に比べるとずっと簡単。

 

毎日教習所に通えるなら、

ひと月足らずくらい。

 

金額も教習所に入って免許を取得するまで、

一度の試験で合格するなら3-4万円くらい。

 

但し、教習や試験の言語はマレー語と英語のみ。

 

どちらかができる必要はありますが、

筆記(試験場のコンピューターで受験)は、

パターンが決まっているので

ある程度問題が理解できれば大丈夫。




運転事情はどうかと言うと......



免許を取るのは日本より簡単かも。

 

でも、取ってからが結構大変かも。(笑)

 

日本人にとっては、
どこの国も同じかもしれませんが......

 

マレーシアの人たちの運転マナーは、

はっきり言って悪いです。(笑)

 

もう自動二輪車は信じられないですね。

 

信号で止まっている車の間を縫って

前に行きますし、

お父さんが、赤ちゃんや子供を抱っこした

お母さんを後ろに乗せ、
親二人だけヘルメット着用。

 

えっ?子供の命はどうやって守るの? 

 Σ(・□・;)

 

おっ、バイク逆走!\(o)/!

 


自動車も、ウィンカーを付けずに

突然進路変更。

 

このタイミングで前に割り込むんかいっ!と

急ブレーキ。

 

学校に子供を送り迎えするために

学校の近くの道路に無断駐車で道路が渋滞。

高速道路で制限速度を50-60㎞/h超えるなんて
普通。

その割には、低速の制限はないので、
突然、30km/hくらいで走っている
過積載のトラックが目の前にあったりして。

もう本当に怖い!(汗)

 

 渋滞と信号機

 

また不法滞在者が多いのも
「危険」を作り出してます。

IDがないため免許が取れず、

無免許運転も少なくありません。

 

毎日運転する度にストレス溜めてます。


 

 

それから、信号機って設置するのに

とてもコストがかかることもあり、
付けていて欲しいところに
信号機がないことも多いですね。

 

それで、信号機ナシの交差点では、
ラウンドアバウト(環状交差点)

なっているところがよく見かけられます。

 

最近日本でも増えてきているようですね。

元々は、ラウンドアバウトにすると、

交差点付近の渋滞が
起きづらいと言われています。

それなりにスピードを落として、
それぞれが順番通りに
交差点の輪っかの中に入れば

渋滞はしないはずなんです。

しかしながら、マレーシアではなぜか
ひどい渋滞の原因に
なっています。


 

特に朝は皆さん急いでいるんでしょうね、

なかなか道を譲らず、

輪の中にいる車が入れてくれないんですよ。

 

私は幸いにも
ラッシュ時にラウンドアバウトを
運転する機会はありませんが、

夫が出張で朝からクアラルンプールに車で行った際、
一度入り損ねて
10分ほど入り口で待ったそうです。

 

もちろん、後ろからブーイングの
クラクションの嵐だったと言ってました。

 

 P1040245

         ラウンドアバウトの入り口(真っすぐ)
               左の車線は左折のみ




普段は陽気で親切なマレーシアの人も

ハンドルを握ると性格が豹変してしまう人も
多いんでしょうね

 

 

 

日本でも、少し離れたところに行くと

その地独特の運転マナーが

存在するのと同じように、

国境を超えると、道路交通法自体も違ったり、

皆さんの解釈で勝手に変えられていたり......

なんてこともあります。

外国で自動車の運転を考えている人は、

現地の人たちの運転マナーや傾向を
しっかり
下調べするのをお勧めします。

 

そして、現地の道路交通法についても
多少学習して
運転した方がいいかもしれませんね。


読んでいただき、ありがとうございました。



最後に

私自身でブログを書くのが一つの目標でした。
ようやくその目標が一つ叶いました。
一時期は方法がわからないまま何もせずに
ただ時間を過ごしていたのですが、
これを始めたのがきっかけで、
ここまで来ました。
今は、書く楽しさを感じることができ、
書くモチベーションも維持できています。
よろしければ、こちらもご覧ください。

 




social-media-Image by Gordon Johnson from Pixabay
Image by Gordon Johnson from Pixabay 


こんにちは!

マレーシアから
Moppeppe3(もっぺっぺさん)です。

久しぶりの
「マレーシアからこんにちは!」です。

実はお引越しをしての再開第一号の記事。


今日はちょっとした呟きです。


このコロナ禍のおかげで

20198月を最後に
日本の地を踏んでいないんですよね。

いつも、一時帰国中に必ず
お味噌(九州味噌派です)
レギュラーコーヒー豆、昆布に鰹節などを
買い込んでマレーシアに帰ってくるんですが、
2年以上それができなくて
そろそろ日本の食材も尽きてきました。

お味噌は妥協すれば
(信州みそ派の人ごめんなさい!)
信州みそが多少割高ですが、

ネットで注文すれば手に入るし、
コーヒーも、最近は地元産の生豆を
自分で焙煎するっていうやり方を
見つけたので
ある程度の問題は解決したんですが、

問題は、鰹節と昆布。

両方かどちらかが無いと、
私の料理のレパートリーは半減。

それに夫や娘は
お味噌汁やお蕎麦も楽しみにしてるんです。


どうにかならないかと思って見つけたのが、

地元の人がよく使う
「イカンビリス(Ikan Bilis)」という
半生干しの小魚をからっからの日干しにして、
日本の煮干しに近い状態にして使うこと。

鰹節のようなコクはないけど、
実家でよく食べていた
甘いまろやかな「いりこだし」と
ほぼ同じ味が出ることがわかり、
何とかなりそうでホッとしてます。

また、このカラッカラのイカンビリスを
更に軽く炒って
いりごまと一緒にミキサーで粉砕して
ふりかけ作ったり。


こういうアイデアはインターネットから。


前述のコーヒーの生豆の炒り方もネットから。

インターネットのありがたさを
ひしひしと感じてます。

 

また、今はWIFILTE
インターネットさえ繋がっていれば、
どこにいても、どこの国の誰とでも
追加の通話料金がかからず、
時間と距離を気にせずに話せますね。

今の若い人はちょっと考えられない経験。

私が結婚したのが199811月。
その後しばらくは夫がマレーシア、私は日本と
仕事の関係で別々の地で暮らしました。


当時、その間のコミュニケーションは

手紙とEメールか電話。

手紙は、片道最低1週間。

相手がすぐに書いて出してくれたとしても、
さらに10日。

一つの会話で半月以上。

Eメールは当時各家庭に
必ずパソコンがあったわけではありません。

携帯で話そうにも
簡単に手の届く代物ではなく、

また本当に電話機能しかないし。

もちろん、カメラ機能なんてとんでもない!

電話はリアルタイムで会話ができても、
日本―マレーシアは当時料金は
1100円以上。
NTTさん、
何もしなくても儲かってましたよ。(笑)


ある月はとうとう、

家の電話料金が10万円を超えてしまいました。

結局母に、マレーシアに一度行って
夫婦でしっかり会話をするように諭され、
会社で10日ほどの休暇をいただいて
行ってきました。(笑)

 

確かに航空券の方が安かったですよ。

福岡―クアラルンプール、
閑散期で平日の発着だったこともあり、
往復で6万円台だったのを記憶してます。

それでもその頃は、国際郵便がエアメールで
ずいぶん速くなったよねとか、
Eメールが使えるようになって
便利になったね、とか言ってました。

今はいろんなSNSが存在し、
インターネットに繋がりさえすれば、
時間とお金を気にする必要もないですね。

携帯も各自が持つような時代です。

日本にいる母や姉や娘、友人と
気が付くと、何時間も話していることも。

これがもし通常の電話だったら、
一体いくらかかるんでしょうね。

今となってはインターネットなしの生活なんて
考えられません。

コミュニケーションのみならず、ビジネス、
仕事、情報の取得、新聞、マガジン、
生涯学習、教育まで!

インターネットで私たちの生活は
ずいぶん便利になりました。

2年以上日本に帰っていないとはいえ、
このインターネットのおかげで
日本の家族とは、
好きなだけ話ができています。

ありがたいことです。



私はずっと以前から、
これまでに経験したことを通して、
考えたことや感じたことを
何らかの形で多くの人に
発信したいと考えていました。
そして今、その希望が叶い、
こうしてブログを書くことができました。
そのきっかけとしてやり始めたこと。

それは、角谷リョウ先生の
「ニューロ言語プログラミング」



ただ、ブログを書こうとしても
最初は、何をどうすればいいのか
全くわかりませんでした。
それに一人で黙々とする作業をするのに
どうモチベーションを維持するのか。



そのために私は今、
様々な人とコミュニケーションをとることで
お互いが影響を与えたり
与えられるようになりたいと思って
このビジネス心理術を学習しています。



この角谷リョウ先生
ニューロ言語プログラミング(NLP)は、
本来のNLPの本当に必要な部分
いいところだけがギュッと凝縮してあり
とても分かりやすく
コンパクトにまとめられていて
お財布にも優しい費用に収められています。



早く成功したいと思っている人は
大切な時間もお金も大きく節約できます。


そして、同じ学習を進めている人たちと
コミュニケーションを取りながら
楽しく進められるように
設定されているのです。


収入を得るためだけでなく
自分の夢を叶えるため
今持っている仕事の効率をよくしたい
家族や友達との関係をより良くしたい
そんなことにも大きく役立ちます。


詳しい内容はこちらのブログから



こんにちは!私はMoppeppe3(もっぺっぺさん)。主婦と同時に、時々翻訳の仕事をしながらマレーシアに住んでいる50代半ば過ぎのおばさん、Auntyです。

途中夫の転勤で8年ほど他国に住むこともありましたが、私が日本を出て22年、マレーシアには述べ14年住んでいます。

マレーシアも他の国同様、現在、大変な時期を迎えています。私が住んでいるネグリスンビラン州は、一応ピークは過ぎ、新規感染者数もピークの頃の1/4くらい(8月26日現在)まで減ってきましたが、国全体ではまだ高止まりという感じです。行動制限も若干は緩和されてきましたが、州境を越えることはまだ許されず、いまだに検問所が至る所に設置されています。

マレーシアの独立記念日

そういう状況でも、マレーシアの独立記念日≪Hari Merdika/Independence Day≫が間もなく、8月31日にやってきます。いつもなら、あらゆるところに赤と白の縞のマレーシアの国旗が掲げられ、旗を立てて走っている車もたくさんあって、町中カラフルでしたが、今年はさっぱり。

それでも、家では旗を掲げましたよ。青い空に映えるでしょ?

第二次世界大戦後に始まった「マレーシアの」歴史

現在のマレーシアは、マレー半島(タイとシンガポールの間の部分)と東マレーシアと呼ばれる、ボルネオ島の一部のサバ州、サラワク州が含まれますが、この独立したマレーシアが現れたときは、まだマレー半島の部分だけだったんです。

どこから独立したって?

はい、1957年8月31日、イギリスの占領地だったところから独立しました。後ほど詳しく述べますが、この頃はまだ名前もマレーシアではなく、「マラヤ」という、イギリスから与えられた名前でした。

マレーシアって、歴史的にもいろんな国から侵略されてるんですよね。ポルトガル、オランダやイギリス、そして短期間ではありますが、日本にも。その後またイギリスに再度。今のように、国民が選挙でリーダーを選ぶしくみを持つようになってからの歴史はまだ浅く、本当に独立してからなのです。他国に占領されていた頃はまだマレーシアという名前ではありませんでしたし、この地域は、サルタンと呼ばれる国王に治められてはいたものの、たくさんの原住民がそれぞれの自治体を作っているような期間が長く続いていましたので、この辺りは国として機能しているところはほとんど存在していなかったのも、いろんな国に占領されやすかった原因なのかもしれません。昔から、リーダーがしっかり国を治めていた日本に住んでいる私たちからすると、想像するのは難しいですよね。

例えば、ボルネオ島の沿岸地域で現在のマレーシアの部分は、もともとブルネイだったりもしています。ところが、イギリスの海賊(パイレーツ)に乗っ取られたり、「東インド会社」に土地を奪われたりして、この地域は姿形がよく変わっていました。強いリーダーがいなかったんですね。

第二次世界大戦が終わると、この国は「マラヤ」(Malaya)とイギリスから名づけられたのですが、実際、この「マラヤ」の国民のイギリスに対するネガティブな感情もあってか、実際は人々はこの「マラヤ」という名前を受け入れず、≪Tanah Melayu/Malay Land≫(マレーの土地)と呼んでいたそうです。二度とヨーロッパに占領されたくないという怒りもあったのでしょう。(夫談)

マレー半島とボルネオ島の一部から成る今のマレーシアになるのは、独立から6年後です。その6年の間、第二次世界大戦後から勢力を拡大しようとしていたインドネシアの侵略から守るために、イギリスの働きかけによって、ボルネオ島の一部であるサバ州、サラワク州が加わって、1963年9月にそこで初めて、マレーシアと呼ばれる国が成立します。このときのマレーシアは、のちに国として独立するシンガポールも含まれています。ブルネイも加わるようにイギリスから声がかかったのですが、ブルネイは、その豊富な資源があるために、自分たちのみで国を作り上げることを選択し、加わりませんでした。

マレーシアから独立したシンガポール

少しだけ、シンガポールについて述べますね。

シンガポールの最初のリーダー、リー・クアンユーは、華人もマレーもインディアンもそして少数の原住民も全て同じ権利を持って国を作って、近代的に発展する国を作ることを提案しました。しかし、マレーシアの中央政府は、後からこの地域にやってきた移民がリーダーになる可能性を与えてしまうと、自分たちの国が破滅してしまうのではないかという恐れを抱きました。そのため、お互いのポリシーを相容れることができず、シンガポールはマレーシアから離れざるを得なくなってしまいました。1969年8月のことでした。

シンガポールが独立する直前は、マレーシア中央政府(特にマレー人を優遇する)に対する不満が高まり、暴動が発生し、身の危険を感じた多くのマレー人が、マレー半島に逃げ移ったというケースも数多くあったんです。

ご存じの通り、シンガポールは華人が大多数で、他に少数のインディアン、マレー人たちがいて、公用語は英語なのですが、実は、国歌に至ってはマレー語なんです。国歌が公用語ではないなんて珍しいですね。マレー語以外で、北京語、英語、タミール語でも歌詞があるようですが、正式に認められているのはマレー語の歌詞のみだそうです。

実は夫に「『マレーシアがシンガポールと一緒に近代国家を建設してくれたらよかったのに』と思ったことがない?」と、ある種タブーな質問をしてみたんです。

夫の回答は、

「近代国家だったら良かったのに、と思わないこともないけど、自分たちは外から来た人間。その外から来た人たちがいきなり自分たちのポリシーや文化をそこにいる人たちにいきなり押し付けるのはどうかな?結果として、マレーシアは、華人たちがシンガポールで自分たちの国を作れるように土地を与えたんだと思う。シンガポールも自分たち(マレーシア)のものにして、華人たちを追い出すわけにはいかないからね。」

そういう見方もあったんですね。マレーシアがシンガポールを追い出した、という見方もあるようですが、ちょっと角度を変えてみると、そんな考え方もあるんですね。そこがまた議論されているわけですけど。

マレーシアの現在

なかなかいない「マレーシア人」

マレーシアには、マレー人約60%、華人約20%、インディアン約7%、他、原住民がいます。これからも、マレー人が増え続け、華人、インディアンなど、優遇措置が受けられない人種の数は減り、比率が小さくなる一方だと言われます。残念なことに、常にどの人種であるかが話題に上り、扱いも違ってしまうのが現状です。子供の出生証明書でも、父親、母親それぞれの人種が明記されています。

マレー人、もしくはムスリム、そして、いわゆる原住民と言われる人たちは、ブミプトラと呼ばれ、課税率、国立大学の入学枠、企業の採用枠、奨学金受給の権利、不動産取得の条件、ビジネスのサポートなどで優遇措置が受けられます。もちろん、それを不服に思う人たちは少なくありません。今はマレー人でも、そのブミプトラ政策は不要と考える人も少しずつですが、増えてきています。税金をしっかり払っているのにその恩恵が受けられない人たちに不満が出るのも当然でしょう。しかし、後から移住してきた人たちが国を変えてしまうのでは、という心配も強かったのかもしれませんが、外からやってきた私にしてみると、なぜすべての国民を「マレーシア人」と一括りにできないのかなとも思ってしまいます。

何か見たことあるような、マレーシアの国旗

ところで、マレーシアの国旗、見たことありますか?

何だかどこかの国の旗に似たような......

アメリカ合衆国ですね。

しかしながら、アメリカとの関係はなく、似た国旗ができたのは偶然ということのようです。それより、イギリスの植民地支配が長かったため、そのイギリスの国旗から色をとった、イギリスの「東インド会社」の旗のデザインをもらった、ということのようです。

       英国東インド会社              現在のマレーシアの国旗

From Wikimedia Commons, the free media repository (いずれも)

マレーシアの国旗の14本の赤と白の縞は、13の州と政府直轄地のクアラルンプールを表し、左上の青い部分の月と星は国教のイスラムを表しています。また、星のとがった部分の数も赤と白の縞と同じで、象徴となるものも同じです。

今年の独立記念日(Hari Merdeka)は?

いつもであれば、様々なところで花火が打ち上げられたり、独立を祝うイベントが開かれて、小中学校の生徒たちがそこで行進に参加したり、と様々なイベントで盛り上がるのですが、今年はこの通り、混雑を避けるために様々なイベントが中止となっているようです。静かな独立記念日となりそうです。

過去にいくつもの国に占領されたという、悲しい歴史を持つマレーシア。みんなで手に入れた自由で国をここまで進んできました。これからは、更に人種を越えて協力し、お互いを更に理解し、受け入れて、更なる発展を目指して欲しいと感じています。

♢  ♢  ♢  ♢  ♢  ♢  ♢  ♢  ♢

私がこのブログで、これまでに経験したことを通して考えたり感じたりしたことを発信したいと思うようになって、やり始めたこと。それは、

角谷リョウ先生の「ニューロ言語プログラミング」

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様々な人とコミュニケーションをとることで、自分自身が影響を与えられるだけでなく、相手にも何らかのいい影響を与えられるようになりたいと思って学習しているビジネス心理術。本来このニューロ言語プログラミング(NLP)を学ぶには、膨大な時間と数百万円というお金がかかります。

しかし、角谷リョウ先生の「ニューロ言語プログラミング」(NLP)は、NLPの必要な部分だけが濃縮され、コンパクトに非常に分かりやすくまとめられているため、大量のビジネス書や心理学書を購入したり、読み込んだりする必要がありません。早く成功したいと思っている人は大切な時間もお金も大きく節約できます。

そして、インターネットでの学習でありがちな孤独感を感じることがなく、楽しく進められるように設定されているのです。

収入を得るため、それも良いと思いますし、自分の夢を叶えるため、今持っている仕事の効率をよくしたい、家族や友達との関係をより良くしたい、そんなことにも大きく役立ちます。

詳しくはこちらのブログをご覧ください。



最後に

これからも、マレーシアでの生活についてを主に書き綴っていくつもりですが、転勤族であった私たち家族がこれまでに住んだ国々の生活・文化や体験談、日本の外の学校事情や言語教育などについてもときどき触れていきたいと思っています。よろしかったらまたお越しください。

今は大変な時期ですね。国内を移動することすらも難しい状況でしょう。この状況を皆さんが乗り切って、晴れて収束したとなったとき、もし、どこかでホッとしたいな~という気持ちを持てるようになった時には、このマレーシア、ぜひお考えになってはいかがでしょう。東京、大阪から直行便で7-8時間ほどです。そのためにも、健康管理、衛生管理、しっかりしてこの状況を乗り越えていきましょう!

Stay safe! Stay healthy!

よろしければ、コメント、シェアいただけると、大変うれしいです。

こんにちは!私はMoppeppe3(もっぺっぺさん)。マレーシアに住んでいて、主婦と同時に、時々翻訳の仕事をしている50代半ばのおばさん、Auntyです。

日本は今、夏真っ盛りでしょうか?それとも、そろそろ夏の終わりを告げるツクツクホウシの声が聞こえ始めるころでしょうか?あのセミの鳴き声を聞くと、夏休みの終わりが近づいているのを感じ取って、残っていた夏休みの宿題に勤しんだものです。

こちら常夏のマレーシアは、いつもであれば、今は乾季の真っ只中で、雨が降らない日がずっと続くはずなのですが、今年は雨が降る日が多く、農作物に影響が出ないか心配です。

子供は今も宝の国

マレーシアは、よくよく見ると、妊婦さんが多いように思います。子供を産み育てるのがとても楽な国です。すれ違う人、妊婦さんには優しく、乗り物では席を譲ったり、コミュニケーションで「何ヶ月ですか?気を付けてくださいね~」なんて声をかける人もまだ結構いますし、生まれた赤ちゃんを街で見かけて、声をかける人もまだ結構います。どこも同じでしょうけど、やはり子供は宝なんですね。子供の数もムスリムの家庭では、以前より少なくなったとは言え、それでも、最低3~4人、多いところでは10人くらいのところもあります。中華系やインド系の家族でも、2~3人はいると思います。

そこで、今回は、もう20年以上前の話になりますが、マレーシアでのお産の経験についてお話したいと思います。私は日本では妊娠・出産の経験がありませんので、日本との違いについては、見聞きしたことでしか比較できませんが、さすがにこれは日本ではないだろう!というちょっと面白い体験をしましたので、楽しんで読んでいただけたらと思います。

マレーシアで子供を産む

私は結婚して8か月後の1999年6月にマレーシアに引越し、夫と新しい生活を始めました。場所は、西マレーシアと呼ばれるマレー半島の北の方のクダ州クリム (Kulim, Kedah)、マレーシアでは米どころと呼ばれる州ですが、一方で、世界中の企業の半導体などの生産に携わる工場が集まる工業団地、クリムハイテクパーク(Kulim High-Tech Park)が存在します。夫はそのハイテクパークにある日系企業の工場で、エンジニアとして働いていました。まだ、入社して2年、お給料も新卒並みの頃でした。

私がマレーシアで生活するようになってまもなく妊娠し、それからは定期的に産科の専門医のクリニックに通院しました。妊娠中は、幸いなことに悪阻はひどくなかったのですが、洪水に遭って家が床上浸水したり、安定期に入ってから、行けなかった新婚旅行でカナダに行ったりと、何かとイベントの多い妊娠期間でした。また、子供が生まれるという喜びと初めての出産と育児に対する不安が入り混じる日々でもありました。

私は日本での里帰り出産を選びませんでした。それは、日本で子供を出産してからマレーシアに帰ると、子供が一度日本でパスポートを取得してマレーシアに入ることになり、ややこしくなって、マレーシアで生活するには後々面倒になるからです。(マレーシアは一定の年齢までの重国籍は認めても、パスポートを二つ以上持つことは認めません。)その代わり、日本から私の母が出産前にマレーシアに来てくれました。2週間ほどいてくれましたが、第一子は予定日より遅くなりがちというのを証明するがごとく、長女が生まれたのは予定日の3日後、母が日本に帰国する3日前でした。母の帰国に間に合わないかも......とちょっと不安がありましたが、何とか間に合ってくれました。

幸いにも出産ははっきり言って、超安産。私のおなかの中の居心地が良くなかったのか(笑)陣痛から4時間で生まれてくれました。夫と母が出産に合わせて来ることになっていたのですが、間に合いませんでした。

退院のタイミング

マレーシアでは(ひょっとしたら他の国でもそうかもしれません)、赤ちゃんが生まれてから24時間母子ともに異常がなければ退院です。長女が生まれたのは土曜日の午前2時半近く、月曜日の朝退院しました。退院してからは、夫と母と三人で右往左往。母は私たちを産んだ頃は3週間ほど入院するのが普通だったこともあり、新生児の扱い方はほとんど知らなかったそうです。こっちの人はもう少し病院にいたいのでは?というと、大抵の人は「えっ?みんな病院には長くいたくないでしょう。普通早く家に帰りたいんじゃないの?」と言います。

       生後7~8時間              生後31~32時間にはさっさと帰宅準備

入院中のできごと

入院中の食事は、朝だけは病院側が準備してくれました。メニューは5cm四方くらいのクラッカー10枚ほどとネスレのミロ。まるで子供のおやつ!(笑)個人でやっているクリニックなので、受付をしている先生の妹さんが「クラッカーは飲み物につけて食べるとおいしいわよ(^^♪)」なんて言って持ってきてくれました。「5cm四方のクラッカー10枚はちょっと多いかな・・・」と思いつつも、これからの生活を考えるとエネルギーが必要です。全て食べました。お昼と夜は持ち込みです。子供が生まれて最初のお昼は、夫が家に帰って、フライパンで焼いた魚とご飯を持ってきてくれました。ちょうどその時、先生が私の様子を診に来てくださったのですが、同時に面白いものを持ってこられました。

「これ家に持って帰って、庭に埋めてあげてください」

と言って、黒いビニール袋を夫に手渡しました。

中身はなんと、プラセンタ、つまり長女が私のおなかの中にいるときに入っていた胎盤です。もうびっくり!(笑) 私たちがなぜ胎盤を埋めるのかを先生に聞いたところ、

イスラムの教えでは、『人間は大地から生まれる。その子供は将来(人生を終えるときは)土にまた帰

る。お母さんの体の中にいたときの≪家≫を土に埋めることで、一生帰るところに困らなくなる』と言われているんですよ」とのこと。

当時、別の州の私立病院で事務長をしていた義父にこの話をしたところ、クダ州は他の州に比べてもイスラム教の色が濃く、マレーが圧倒的に多いところで、その風習を頑なに守る人が多いからではないかということでした。確かにそのお医者さんはマレー系の男性の先生で、その町にあるたった一件の産科専門のクリニックでした。

他の州でもそうしているところもあるのかもしれませんが、クアラルンプールなど大都市圏やその通勤圏の辺りでは、病院やほとんどの個人のクリニックでは、日本同様、契約業者が医療廃棄物として回収し、適切に処理をすることになっているそうです。ただ、中には胎盤を持ち帰って埋めたいというムスリムの人もいるそうですので、特にムスリムの場合は、持ち帰るかどうかを尋ねることが多いようです。

マレーシアの産院事情

マレーシアでは、国立病院が町ごとに一件必ずあります。私もそのクリムの町の国立病院での出産という選択肢もありましたが、常に混んでいて、いろんな病気で来る人もいるので、安全のため個人の専門病院での出産を選びました。二女を出産したところは、東マレーシアと言われるサバ州、サラワク州のあるボルネオ島の西側100kmくらいのところにあるラブアン島(Pulau Labuan)という小さな島で、個人でやっている産科医はいないため、国立病院に付属するクリニックで定期健診を受け、国立病院で出産しました。そのラブアン島の国立病院でも、専門医は限られていて、通常分娩であれば、助産婦さんしか出産中は関わりません。妊娠中や出産時に何か異常があって、産婦人科医だけで対処できない場合は、軍のヘリコプターでボルネオ島のサバ州の州都、コタキナバルまで運ばれるのだそうです。

ところで、その黒いビニールの胎盤の行方はどうなったかと言いますと......

夫が「生ごみと一緒にゴミ捨てに出した」

んだそうです。まあ、マレーシアはゴミは埋め立て地に運ばれていくので、「埋める」という意味では違いはないかも。(笑)しかし、日本であれば、法律に触れることになるので、絶対してはいけないですね。

                Image byAlbrecht FietzfromPixabay

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私がこのブログで、これまでに経験したことを通して考えたり感じたりしたことを発信したいと思うようになって、やり始めたこと。それは、

角谷リョウ先生の「ニューロ言語プログラミング」

様々な人とコミュニケーションをとることで、自分自身が影響を与えられるだけでなく、相手にも何らかのいい影響を与えられるようになりたいと思って学習しているビジネス心理術。本来このニューロ言語プログラミング(NLP)を学ぶには、膨大な時間と数百万円というお金がかかります。

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収入を得るため、それも良いと思いますし、自分の夢を叶えるため、今持っている仕事の効率をよくしたい、家族や友達との関係をより良くしたい、そんなことにも大きく役立ちます。

詳しくはこちらのブログをご覧ください。


最後に

これからも、マレーシアでの生活についてを主に書き綴っていくつもりですが、転勤族であった私たち家族がこれまでに住んだ国々の生活・文化や体験談、日本の外の学校事情や言語教育などについてもときどき触れていきたいと思っています。よろしかったらまたお越しください。

今は大変な時期ですね。国内を移動することすらも難しい状況でしょう。この状況を皆さんが乗り切って、晴れて収束したとなったとき、もし、どこかでホッとしたいな~という気持ちを持てるようになった時には、このマレーシア、ぜひお考えになってはいかがでしょう。東京、大阪から直行便で7-8時間ほどです。そのためにも、健康管理、衛生管理、しっかりしてこの状況を乗り越えていきましょう!

Stay safe! Stay healthy!


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